【幼稚園年少組】昭和だから養護学校へ行かんで済んだ

2022年09月18日
はっきり覚えているであろう時期 0
ジャンル:育児 スレッド:発達障害の中のグレーゾーン児
20220918 【iPhoneSE2020】小平若竹幼稚園のアルバム

<画像 20220918 【iPhoneSE2020】小平若竹幼稚園のアルバム>

入園時に渡されたであろうアルバム。
其処で3年間を過ごしたらどんな写真が多く収められただろう。
JR中央線の車窓から武蔵小金井駅を眺める度に郷愁に駆られる。

<本文>

1981年4月、私は幼稚園に入った。
母親が言うには庭が広くのびのびした雰囲気の園だった。
幼稚園のHPを見ると業務的なたどたどしい言葉で書いてある。
発達に疑問を抱くお子さんでも受け入れるって。
もしかしたら其処しか受け入れ場所がなかったのかも知れない。

当時の素行を聞くと発達障害を連想させる事ばかりだった。
 ・話し始めるのが遅くて3歳になってからやっと言葉が出て来た
 ・皆が部屋で先生の話を聞いているのに私だけ庭で遊んでいた
 ・他害はしなかった
自分の殻に閉じ籠もっていたから「変わった子だなー。」って放置された。

今の価値観では幼稚園の対応は間違いだとされる可能性が高い。
しかし、子供と保護者の事を思えば正しい接し方だった。
保育のプロがどう頑張っても子供自身がまともになる気を持たない内は無駄。
働きかけても居心地悪い窮屈さしか生み出さない。
保護者だって「子は親の鑑」だから同じ穴の狢でしかない。

母親自身が人付き合いを苦手としていた。蛙の子は蛙。
まだ露呈していないだけで育児放棄の傾向が出て来た。無関心を貫く。
だから私が集団行動に馴染めなくても母親は全く気にしなかった。
私は周囲に合わせる事を強いられずに過ごせた。
黙認の経緯はどうであれ、この母親の元に生まれたのは正解だった。

ユーザータグ:グレーゾーン
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